30年以上ランニングを続けてきて、運動は完全に習慣になりました。その中で「これは絶対に外さない」と決めている習慣が1つあります。必ずランニングウォッチを身につけること。つまり記録を残すこと。GPS内蔵ランニングウォッチが普及し始めた頃から、積極的に活用してきました。
私のすべてのラン(トレーニング・レース)は記録され、コース・ペース・時間・場所がログとして残っています。
そして今回、その“当たり前の習慣”が、少し大げさではなく遭難を回避する決定打になりました。
マンネリを壊す、もう一つの楽しみ「新しいコース作り」
ランニングを続けていると、どうしてもマンネリが出てきます。同じコース、同じ景色、同じ気分になってしまう。
そこで私のもう一つの楽しみが、新しいコースを発見して、自分だけのランニングコースを作ることです。
やり方はシンプルで、
- いつものコースから少し外れた「行ってみたい場所」を探す
- 距離や想定時間を見て、「行けそうか」を判断する
市街地なら、これでほとんど迷いません。
…ところが今回の舞台は、山の中でした。
「点線でつながっている」=行ける、と思い込んだ
Googleマップ上では、いつものルートとは違う道になったものの、点線で道がつながっていました。
山道でも「つながっているなら行けるだろう」と判断して出発。
この時点で、今思えばすでに危うかった。
Googleマップの点線は“道っぽいもの”を示すことはあるものの、状況によって意味合いが変わり得ます。
まさかの「道が寸断」…そこから記憶はあやふやに
山へどんどん進むと、思わぬ場面に遭遇しました。
道が寸断されていて、先に進めない。
仕方なく引き返すことにしたものの、ここからが問題でした。
来た道を“覚えているつもり”で走っていたのに、突然、分岐のような場所で
「どっちだ…?」 と足が止まった。
人間の記憶は頼りにならない。自分が通ってきた道さえ、確信が持てない。私は本気で迷いました。

※画像はイメージです
携帯で確認しようとして絶望「圏外」の表示
焦ってスマートフォンを取り出し、Googleマップを開く。
でも―― 電波がつながっていない(圏外)。 「しまった……電波のことを完全に忘れていた」
山での“あるある”なのに、市街地の感覚のまま来てしまっていました。
そこで思い出した「そうだ、記録してるじゃないか」
その瞬間、ふと気づきました。
ルートは、ランニングウォッチが記録している。 「記録を辿れば戻れるはずだ」
すぐにランニングウォッチで、通ってきたルートを辿る設定(いわゆる、スタート地点に戻るナビゲーション)に切り替えました。
主要なGPSウォッチには、現在のアクティビティで記録した軌跡に沿って戻る機能(TracBack が用意されています)今回、私が使用していたのは、Garmin社Forerunner265でした
“確信の方向”が間違っていた。時計が震えて気づけた
私は記憶を頼りに進んで行き、「たぶんこっちだ」と進みました。
すると、ブルブルとバイブレーション。
時計を見ると、記録したルートから外れる方向へ進んでいたのです。
「絶対こっち」と思った方向が、違っていた。
怖いのはここで、 もしウォッチがなければ、私は自分の記憶だけを頼りに、さらに迷いの深い方へ進んでいた可能性が高い。
そして、ウォッチの案内に従ってルートに戻り、そのまま辿っていくと――
入口の景色が広がり、「やった!」と心の中で叫び、入口まで戻ることができたのです。
その時の安堵感といったら、ことばにできないくらいの気持ちでした。
「遭難するところだった。記録しといて本当によかった。」

検証 なぜ“圏外”でも戻れたのか
改めて、GPSの仕組みや利用法など、確認してみました。
- スマートフォンの地図:多くは通信で地図データを読み込みます。圏外だと「地図が出ない/ルート検索ができない」ことが起きやすい(※事前にオフライン保存していれば可能)。
私が、犯したミスの一つが、市街地ルートを走る感覚のままで、事前に地図データを読み込んでいなかった事です。(厳密にはスマートフォンにもウォッチにも両方入れておく必要がありました)山の中へ向かう時は、登山アプリなども準備する必要があったと思われます。 - GPSウォッチの軌跡:位置情報は携帯電波ではなく、主にGPS衛星で取得します。なので、携帯が圏外でも“空が見えて衛星を捕まえられる状況”なら軌跡は取れます。
- その軌跡を使って「通った道に沿って戻る」機能が動く。
今回の教訓 デジタルを過信せず、味方につける
無事に帰宅した後、改めてGoogle マップを確認して気づきました。 そこには小さな注釈で**「正確な情報でない場合があります」**との一文が。
今回の件で、私は二つの大切なことを学びました。
- スマホの電波は圏外でも、GPS(衛星)は生きている
- 通信ができなくても、軌跡を記録していれば帰路は見つかる。記録は「思い出」のためだけでなく「安全」のためにある。
- 知らない山道には、点線があっても踏み込まない
- 日頃より、十分な準備で進めて、決して無茶をすることではなく「無事に帰ること」にあると、改めて認識する
それ以来、私の新ルート作りは「市街地限定」にしました。 「記録する習慣」が、文字通り私を救ってくれました。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。


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