物忘れが増えた気がしても、すぐに悲観しなくていいと思う話

思考・人生観

「あれ、今朝は走りに行ったかな?」

玄関でふと立ち止まって、自分の記憶を疑う。

そんなことが、たまにあります。

毎日のように同じ時間に走っていると、行動が体に馴染みすぎて、特別な出来事として記憶に残りにくいのかもしれません。以前なら、こういうことがあるたびに「いよいよかな……」と少し落ち込んでいたと思います。

でも今は、少し受け止め方が変わってきました。

単純に衰えた、と決めつけるのではなく、脳の使い方が変わってきたのかもしれない、と考えるようになったのです。

年齢を重ねると、どうしても若い頃のような処理の速さは落ちやすいと言われます。新しい機械の設定に手間取ったり、名前がすぐ出てこなかったりするのは、その一つかもしれません。ですがその一方で、長年の経験や知識、物事の見方は、むしろ年齢とともに厚みを増していきます。

若い頃の脳が「速さ」で勝負するなら、年齢を重ねた脳は「深さ」や「つながり方」で力を発揮する。

私は、そんなふうに考えると少し気が楽になります。

だからこそ、シニア世代では「全部を若い頃と同じようにやろう」としない方がいいのだと思います。

速さが必要なことは、できるだけ仕組みに任せる。

忘れそうなことは、メモやスマホに頼る。

置き場所を決める。

ルーチンを作る。

これは手抜きではなく、脳の節約です。

たとえば朝のランニングも、「行くか行かないか」を毎回考えないようにしてしまえば、そのぶん脳の負担は減ります。細かなことを覚えておく力をむやみに使うのではなく、本当に大事なことに回せるようになります。

そして、年齢を重ねたからこそ価値が出るものもあります。

それは、経験をもとに考える力です。

昔の失敗から学んだこと。

人との付き合いの中で身についた距離感。

ニュースを見た時に、「前にも似たことがあった」と思い出せる感覚。

こういうものは、若さの勢いだけではなかなか手に入りません。

知識をたくさん持っているというより、知識と経験が自分の中でつながっている。

そこに、年齢を重ねた人の強みがあるのではないかと思います。

だから私は、物忘れをした時も、前ほど深刻に考えないようにしています。

もちろん、急に強い変化が続くなら注意は必要です。

でも、日々のルーチンがあまりに自然になっていて、「今朝走ったかな?」となるくらいなら、それは脳が余計なことにエネルギーを使っていないだけかもしれません。

大事なのは、細かなことを全部自分の頭だけで抱え込まないこと。

仕組みに任せるところは任せる。

そのかわり、自分にしかできない考え方や表現に、脳の力を使う。

そう考えると、年齢を重ねることも、少し違って見えてきます。

速さでは若い頃にかなわない部分があっても、深さでは別の力が育っている。

そう思えれば、物忘れに出会った時も、必要以上に落ち込まなくてすむのではないでしょうか。

最近では、スマホに「今日やること」をメモする習慣もできました。頭の中に全部を置いておく必要がなくなると、かえって大事なことに集中できる。テクノロジーを「脳の外付けメモ」として使うことも、年齢を重ねた今だからこそ素直に受け入れられる工夫の一つだと感じています。

私が実際に取り入れた「脳の外付け」習慣

物忘れが少し気になり始めた頃、私がまず変えたのは「家の中のルール」です。鍵は玄関の決まった場所にしか置かない。財布は帰宅したら必ずカバンに戻す。最初は面倒に感じましたが、1週間も経つと「どこに置いたっけ?」と探す時間がほぼなくなりました。

次に試したのが、スマホのメモアプリをフル活用することです。「今日やること」だけでなく、「気になったこと」「後で調べたいこと」も、思いついた瞬間にすぐ入力する。メモしてしまえば、頭の中から解放されます。脳に余計な荷物を持たせない、という感覚です。

もう一つ、就寝前に翌日の行動を3つだけ書き出す習慣も始めました。「朝イチで郵便局」「午後に電話」「夕方に散歩」——この3つを書くだけで、翌朝の動き出しがスムーズになりました。記憶力で勝負するのではなく、仕組みで補う。これが年齢を重ねてからの賢いやり方だと、今は素直にそう思えます。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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