

AIを使い始めた頃、私は正直、かなり戸惑いました。
たしかにすごい。
文章はすぐ返ってくるし、こちらの質問にそれらしく答えてくれる。
でも、使っているうちに、ときどき「あれ?」と思うことが出てきました。
間違っていることを、かなり自信ありげに答えるのです。
しかも、言い方が堂々としている。
こちらが詳しくない分野だと、一瞬「そうなのか」と思ってしまうくらい、それっぽい。
でも、よく見ると違う。
そこで私は、なんとも言えない気持ちになりました。
「これは便利な道具なのか。
それとも、うっかり信じると危ないものなのか。」
最初の印象は、まさにそんな感じでした。
便利さより先に、不安のほうが目についたのです。
それでも、使うのをやめなかった理由
では、そこでAIを見限ったかというと、そうではありませんでした。
なぜかというと、「変なところはあるけれど、全部がダメなわけではない」と感じたからです。
むしろ、苦手なことと得意なことの差が大きいのではないか。
そんなふうに思うようになりました。
おそらくAIは、古い情報と新しい情報が入り混じるような話や、文脈の確認が必要な話では、ときどき怪しくなる。
そこは人間側が注意しないといけない。
でも逆に、得意なこともあるはずだ。
そう考えたとき、私が真っ先に思ったのは、やはり計算でした。
人間よりずっと速く、条件を並べ替えて、何通りものパターンを試せる。
これは明らかに強い。
そして実際、私が知りたいことの中には、そういう「計算して比べたいこと」がかなり多かったのです。
私がAIで最初に助かったのは、数字のシミュレーションだった
たとえば、住宅ローンです。
返済方法を変えると、最終的な支払総額はどう変わるのか。
途中で繰上返済したらどうなるのか。
住宅ローン控除が終わったあとに一括返済した場合と、そのまま最後まで払った場合では、どれくらい差が出るのか。
こういう話は、頭の中ではなんとなく気になっていても、自分で全部計算するとなると、かなり面倒です。
条件が一つ変わるだけで、またやり直しになるからです。
株の複利計算も同じでした。
毎月いくら積み立てるのか。
何年続けるのか。
利回りを少し変えたら、結果はどのくらい違うのか。
暴落を一度はさんだ場合、どうなるのか。
こういうことを、AIは本当に速く整理してくれました。
「じゃあこの条件なら?」
「では、こっちのパターンも」
「それなら10年後は?」
そんなふうに条件を変えながら聞いていくと、次々に結果が返ってくる。
この体験は、最初かなり驚きました。
「ああ、これはたしかに人間よりずっと速い」
そう思いました。
でも、次に出てきたのは別の不安だった
ただ、そこで新しい問題が出てきます。
結果は出る。
しかも速い。
でも、その結果が本当に正しいのか、私にはすぐにはわからないのです。
ここが、実際に使ってみて一番リアルだったところかもしれません。
自分で複雑な計算を一からできるなら確認できます。
でも、そうではないからAIに聞いているわけです。
つまり、助かっている一方で、最後の確認が自分では難しい。
これは少しこっけいな話でもあります。
「計算してもらって助かった。でも、その答えが合っているか、自分では完全にチェックできない」
そんな状態だったからです。
便利なのに、どこか落ち着かない。
ありがたいのに、100%は乗れない。
この中途半端な感じが、当時の本音でした。
だから私は、AIをそのまま信じない使い方に変わった
そこで、私の使い方が少し変わりました。
一つのAIだけに聞いて終わりにしない。
他のAIにも同じことを聞いてみる。
答えがだいたい揃うかを見る。
さらに不安があるときは、検索でも確かめる。
そんなふうに、AIの答えを別のAIや別の手段で照らし合わせるようになったのです。
最初は「面倒だな」とも思いました。
でも、逆に言えば、この確認の癖がついてから、AIはかなり使いやすくなりました。
最初から完璧な先生だと思うと、裏切られます。
でも、「まずは叩き台を出してくれる相手」「思考を速く進める補助役」だと思うと、とても役に立つ。
この距離感がわかってから、AIに対する見方が変わりました。
AIは、感情のためというより、頭の中を整理するために使える
使っていて強く感じたのは、AIは何かを“感じて”くれる存在というより、頭の中を整理する相手だということです。
知りたいことがある。
でも、まだ質問の形になっていない。
気になることがある。
けれど、自分でも何が引っかかっているのか、うまく言えない。
そういうときに、AIに少しずつ条件を入れていくと、考えが整理されていきます。
「こういう前提ならどうなる?」
「この条件を加えたら?」
「結局、何が分岐点なの?」
そうやって聞いていくと、自分が何を知りたかったのかが、だんだん見えてくるのです。
感情で納得するというより、論理として筋が通っているかを確認できる。
ここに私は、大きな価値を感じました。
人は、なんとなくわかった気になることがあります。
でも、AIに説明させたり、条件を並べたりしてみると、自分の理解があいまいだったことに気づきます。
逆に、整理されて返ってくることで、「ああ、自分が考えていたことはこういうことだったのか」とはっきりすることもある。
これは使ってみないとわからない感覚でした。
今思うと、AIの入り口はここだったのかもしれない
今ふり返ると、私にとってAIの入り口は、「何でも答えてくれる便利な存在」ではありませんでした。
むしろその逆で、
間違うこともある。
自信満々に外すこともある。
だからこそ、どう使えばいいのかを考えるようになった。
そこから始まった気がします。
最初は「なんだこりゃ」と思いました。
でも、そこから少しずつ、「この使い方なら役に立つ」「ここは鵜呑みにしないほうがいい」とわかってきた。
そうやって付き合い方が変わるにつれて、AIはただの流行り物ではなくなっていきました。
私にとってAIは、正解を丸ごと受け取る道具というより、
自分の疑問を整理し、条件をはっきりさせ、論理的に考えるための相手です。
そして、たぶん最初の入り口はそこでいいのだと思っています。
完璧に信じるところから入るのではなく、
試しながら、疑いながら、確かめながら使っていく。
その中で、「自分にとってAIは何に使えるのか」が見えてくる。
私の実感としては、それがいちばん自然な始め方でした。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。


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